善光寺仲見世
往生寺
九州博多の城主、刈萱加藤左衛門尉重氏が出家して等阿法師と名のり、妻子から離れて高野山に隠棲して修行中のところへ、子の石堂丸がたずねて来て弟子入りを迫ったので止むなく許しましたが、親子の情愛にひかれて修行のおろそかになることを怖れ、善光寺に参篭して如来よりこの地を授かり、83歳で寂しました。生前、彫刻して遺しておいた地蔵尊を、後から慕ってきた石堂丸も、それを手本として同じものを刻みました。これら二体の仏像を刈萱親子地蔵尊といいます。
刈萱堂往生寺は、父の刈萱上人の終焉の地。堂内でその縁起を説明する絵解きは、今や貴重な教化風俗となっています。