信玄、謙信 両雄にとって川中島とは |
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「川中島の戦い」は、熾烈を極めた永禄4年(1561)の八幡原の激戦が広く知られています。実際には北信四郡(北信濃の高井郡・水内郡・更級郡・埴科郡を指す)を戦場にして12年、5度にわたる長い戦いでした。 戦いの理由については諸説ありますが、川中島は古くから人口が密集する肥沃な地域で、交通の要衝にもあたり、鎌倉時代からしばしば合戦の舞台となっていました。それは大将が大軍を率いて采配し、兵馬をかけさせる適度な平地が広がっていたからともいわれます。武田信玄は、この要衝の地を奪い信濃全域の掌握をはかりました。これに対し、上杉謙信は、北信濃の武士たちに請われて、義侠心から川中島に出兵します。しかし、寺社までもわがものにしていく信玄の横暴さに謙信は我慢がならず、次第に強い対抗心を抱いて、自国越後までその悪行をおよばせまいと、本気になって信玄に戦いを挑んでいったとも考えられます。 このサイトではそんな「川中島の戦い」を、長野市内に残る史跡紹介を中心に、時系列、人物像、図解など様々な切り口でご紹介します。 |
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サイト監修:岡澤由往氏(おかざわ・よしゆき)
長野郷土史研究会会員。昭和5年(1930)、長野市小島田町生まれ。大東文化学院専門学校(現大東文化大学)本科卒業後、長野県立高等学校各校の教員勤務(国語・社会担当)を経て、長野市誌刊行委員副委員長・編さん専門委員を務める。 教員在職中、古文書の解読を独学で習得。以来、川中島周辺地域の家々に残る貴重な古文書や史料、伝承などの研究を続けており、2006年には川中島古戦場史跡の故事となった『甲越信戦録』現代語訳を上梓。現在農業に従事するかたわら、各地の公民館や学校などで古文書解読・「川中島の戦い」にまつわる講演・講座の講師を多数手がけている。 著書に『もう一つの六文銭』(銀河書房)、『激闘!川中島合戦をたどる』(龍鳳書房)、『戦国哀歌川中島の戦い-甲越信戦録・現代語訳』(龍鳳書房)、監修に『古戦場の村々の記録』(銀河書房)など。 当ホームページでは、川中島古戦場の里人が抱いたロマンを伝える『甲越信戦録』の物語を中心として、古戦場周辺地域の地理と伝承に精通した地元ならではの視点による解説を加えていただいた。 →龍鳳書房 川中島合戦関連書籍ページへ |