山本勘助らが戦死した永禄4年(1561)の川中島の戦いで、武田軍が本陣を構えた古戦場跡。「はちまんぱら」と呼ばれる史跡公園内には、合戦のハイライトである信玄・謙信両雄一騎討ちの銅像をはじめ、三太刀七太刀之跡の碑、首塚、執念の石、八幡社などが激戦の歴史を伝えている。
川中島古戦場の屋外エリアには、第4次川中島の戦いを今に伝える史跡の他に、戦い当時の陣や柵などを再現しました。(屋外エリアは無料) →詳しい展示場所は「会場マップ」からどうぞ |
山本勘助らが戦死した永禄4年(1561)の川中島の戦いで、武田軍が本陣を構えた古戦場跡。「はちまんぱら」と呼ばれる史跡公園内には、合戦のハイライトである信玄・謙信両雄一騎討ちの銅像をはじめ、三太刀七太刀之跡の碑、首塚、執念の石、八幡社などが激戦の歴史を伝えている。
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竹束仕寄とは、矢玉を防ぐため竹を重ね、油を塗ったもので、時には車輪を付けて敵の城に肉薄することもあった。物見やぐらと共に忠実に再現。
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馬印は戦国時代から江戸時代、戦国武将たちが自らの位置・武威などを誇示するために備の旗や自身の周りに置いていた印。また合戦時、馬の侵入を防ぐために作られた馬防柵も展示。
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