「人物を知る」-【上杉方武将】
◆斎藤下野守朝信(さいとうしもつけのかみとものぶ)
謙信の信頼厚く、部下や領民からも慕われた忠勇の士。戦場では勇猛ぶりを発揮し、その働きは「越後の鍾馗(しょうき/疫病除け、魔除けの神様)」と称された。のちに海津城を守ることになる。
◆小島弥太郎勝忠(こじまやたろうかつただ)
謙信の幼少時代から仕え、活躍した剛力無双の勇将。勇猛果敢な豪傑ぶりから“鬼小島”とあだ名され、近隣国人衆から恐れられた。架空の人物ともされるが、上杉家中には小島姓も多くさまざまな伝承を残している。
◆安田治部少輔長秀(やすだじぶしょうゆうながひで)
永禄4年(1561)第4次川中島の戦いでは、武田信玄の嫡子・義信の隊を直江大和守景綱や甘粕近江守景持とともに苦しめたといわれ、戦後、謙信から武功を讃えた書状を授けられた。
◆色部修理進勝長(いろべしゅりのしんかつなが)
独立心が強い越後有力国人の中で、最後まで謙信に忠節を尽くした。人心を読み戦略・戦術の才に優れ、内憂の絶えなかった色部家を再興し、合戦でも数々の功名をたて勢力を広げていった。
◆本庄美作守慶秀(ほんじょうみまさかのかみよしひで)
謙信が還俗した頃から、側近として若き謙信を補佐した。直江景綱、大熊朝秀らとともに奉行職を務め、謙信政権の中枢を司っていた。
◆山吉孫次郎豊守(やまよしまごじろうとよもり)
外交折衝に卓越した手腕を発揮。謙信の側近中の側近として軍政両面で活躍し、謙信の信頼も厚く、上杉家最高の軍役数を担った。
◆新発田尾張守長敦(しばたおわりのかみながあつ)
謙信を支えた越後有力国人の一人。謙信亡き後は、跡継ぎの上杉景勝を支え、武田勝頼との和議に向けて奔走、甲越同盟成立にも尽力した。
◆河田豊前守長親(かわだぶぜんのかみながちか)
上杉謙信が将軍・足利義輝に拝謁するため二度目の上洛をした際、その才能を認められて近臣として召し抱えられ、奉行職を歴任した。謙信から長尾氏の姓と紋を与えられたこともある。
◆中条越前守藤資(なかじょうえちぜんのかみふじすけ)
謙信が長尾家の家督を継承後、謙信の無二の忠臣となる。関東や信濃に出陣を重ね、数々の戦功をあげた。高齢でありながら永禄4年(1561)第4次川中島の戦いにも参陣。謙信旗本の後陣をつとめ、奮戦した。
「人物を知る」-【上杉家関連】
◆上杉景勝(うえすぎかげかつ)
謙信の養子となり、後年、上杉家を継承した。父は長尾政景の次男。母は上杉謙信の姉。小柄ではあったが、容姿秀麗で、人となりは寡黙で笑うことは少なく、勇猛にして大胆。その厳格さに家臣たちは敵よりも景勝を恐れたという。豊臣政権に参画し、五大老の一人にもなっている。