小柴見城跡
読みは「こしばみじょう」跡。裾花川の西、旭山の東南にのびた尾根の突端にある山城。この地の土豪であった小柴見宮内(こしばみくない)が築いたといわれ、小田切氏の属城であったともされる。
戦国時代、甲越の争いでは、山頂の旭山城が両軍の拠点となり、小柴見城はその出城であったと考えられている。弘治元年(1555)には、善光寺別当の栗田氏が武田方について旭山城に入り、信玄は犀川対岸の大堀館に本陣を構え、兵3,000、弓800、鉄砲300を送りこんだ。200日の対陣の後、旭山城は破却されたが、弘治3年(1557)葛山(かつらやま)城が武田軍によって落ちると、上杉謙信は旭山城を再興して本陣とした。
『甲陽軍鑑』によると、栗田氏の配下にあった城主の小柴見宮内は、第4次川中島の戦いで密かに越後方に内通していたことが露見し、永禄5年(1562)武田信玄に誅され、その後、小柴見城は廃城になったという。(『長野県町村誌』より)
現在、本城跡が残る小柴見丘陵には、夏目ヶ原浄水場が設置され、長野市通水80周年を記念して整備された夏目ヶ原親水公園がある。