供養塔・墓
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読みは「てんきゅうじ」。八幡原の戦いで討ち死にした信玄の弟・典厩信繁(てんきゅう・のぶしげ)の墓がある。 典厩寺はもとは鶴巣寺(かくそうじ)と号し、合戦から60年後の承応3年(1654)に松代(まつし・・・
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信玄の実弟であり、武田の副将・典厩信繁(てんきゅう・のぶしげ)は、文武両道に優れ、家臣の人望も厚いまれにみる名将であった。父・信虎(のぶとら)は彼を跡目相続にと考えていたが、信繁は副将として兄・信玄・・・
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明徳元年(1390)に僧明徳が建立したとされ、武田の智将といわれた海津城主・高坂弾正忠の墓がある曹洞宗のお寺。高坂弾正の帰依が厚く、諸堂を修理して開基となった。 本堂 参道 ご本尊は薬師如来。お堂には・・・
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読みは「こうさかだんじょうのじょう※・まさのぶ」、「かすが・とらつな」。川中島の前線拠点である海津城の城将として活躍し、合戦後、北信濃の経営を担った高坂弾正忠昌信は、天正6年(1578)病没し、彼が再・・・
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永禄4年(1561)の第4次川中島の戦いで討ち死にした山本勘助は、陣ヶ瀬東高畑(じんがせ・ひがしたかばたけ)に葬られ、五輪塔が建てられた。ここは今でも「勘助塚」とも呼ばれている。元文年間(1736~・・・
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かつて山本勘助の墓とともに建っていた浄土真宗のお堂。千曲川の陣ヶ瀬[じんがせ]東高畑[ひがしたかはた]にあった山本勘助の墓は、松代藩士・鎌原[かんばら]父子らが元文4年(1739)に信州柴阿弥陀堂の・・・
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本堂 源頼朝や北条一族にも篤い帰依(きえ)を受け、全国に広く信仰を集めていた大霊場。信玄は弘治元年(1555)に、ご本尊(一光三尊阿弥陀如来)はじめ什宝(じゅうほう…家宝として秘蔵するもの)、寺僧・・・
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北信濃の覇権をめぐり川中島で戦いを繰り広げた武田信玄と上杉謙信。両者は領地だけでなく、全国に広く信仰を集めていた善光寺の威光をも手に入れようと奪い合った。その善光寺大勧進には、現在、信玄と謙信の位牌が・・・
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天文17年(1548)、武田軍と村上軍の合戦が繰り広げられた上田原一帯には、戦で命を落とした犠牲者を弔ういくつもの墓が建っていた。上田原古戦場の石碑が建つ石久摩神社の裏手には、名も知れなくなったこれら・・・
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読みはあめみや(あまみや)ぎょうぶの墓。雨宮刑部は、上田原の戦いで討ち死にした村上方の武将で、雨宮渡(あめのみやのわたし)にほど近い唐崎城の城主だった。雨宮摂津守の子、または清野信秀の子ともいわれて・・・
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