上杉軍関連
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読みは「さいじょさん」「さいじょざん」。永禄4年(1561)8月、上杉謙信が越後から1万3,000人の軍を率いて陣営を設けたといわれる小高い山。 展望はよく、東に松代の町、西北に千曲川の流れと川中島・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 戦場跡 | ◇アクセス
5度にわたって繰り広げられた信玄と謙信の川中島の戦いの中で、永禄4年(1561)の戦いの舞台になったのが八幡原。ここでの戦いが最も激しく、副将・武田典厩信繁、山本勘助ら勇将が戦死した。史跡公園の松林・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 碑・像 | ◇アクセス
永禄4年(1561)の川中島合戦で、武田軍の本陣に攻め入った謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めたとされるエピソードから、海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)原作のNHK大河ドラマ「天と地と」の放映(・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 碑・像 | ◇アクセス
三太刀七太刀之跡の碑 左は八幡社 読みは「みたち・ななたちのあと」の碑。謙信・信玄一騎討ちの場所と伝えられ、三度斬りつけ軍配団扇(ぐんばいうちわ)には七つの傷が残っていたことから、こう言われている。・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 碑・像 | ◇アクセス
武田・上杉両軍が3万余の死闘を展開した永禄4年(1561)の川中島合戦。上杉軍は車懸かりの戦法をとり、武田軍本陣の信玄めがけ上杉謙信が切り込んできた。謙信の鋭い太刀に、信玄は手にした軍配団扇で受け止め・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 神社・寺 | ◇アクセス
読みは「とがくしじんじゃ」。戸隠山のふもと、奥社・中社・宝光社(ほうこうしゃ)・九頭龍社(くずりゅうしゃ)・火之御子社(ひのみこしゃ)の五社からなる山岳信仰の霊場。「天岩戸」神話の舞台でもあり、平安時・・・
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読みは「あめみやのわたし」。永禄4年(1561)の9月9日夜半、妻女山(さいじょさん)に布陣していた上杉謙信は、武田軍の炊飯の煙を見て夜襲(啄木鳥[きつつき]の戦法)を察知。1万3千の兵を率いて雨宮の・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 碑・像 | ◇アクセス
骨をつみしほ流ししもののふの おもかげうかぶ赤川の水 浅井洌作歌 この場所にはかつて、建御名方命[たけみなかたのかみ]を主祭神とし、西寺尾村岡組の産土守[うぶすながみ]とし・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 神社・寺 供養塔・墓 | ◇アクセス
本堂 源頼朝や北条一族にも篤い帰依(きえ)を受け、全国に広く信仰を集めていた大霊場。信玄は弘治元年(1555)に、ご本尊(一光三尊阿弥陀如来)はじめ什宝(じゅうほう…家宝として秘蔵するもの)、寺僧・・・
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カテゴリー:武田軍関連 上杉軍関連 神社・寺 供養塔・墓 | ◇アクセス
北信濃の覇権をめぐり川中島で戦いを繰り広げた武田信玄と上杉謙信。両者は領地だけでなく、全国に広く信仰を集めていた善光寺の威光をも手に入れようと奪い合った。その善光寺大勧進には、現在、信玄と謙信の位牌が・・・
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