大里山風雲庵
読みは「おおさとやま・ふううんあん」。場所は長野市松代町清野。
永禄4年(1561)8月、上杉謙信との川中島合戦の戦勝を祈願し、武田信玄が寺地を寄進し建立したと伝わる。鞍骨(くらぼね)山の麓、清野地区宮村に建ち、もとは山を一つ越えた大里の地にあったが、約130年後の元禄5年(1692)に現在の地に移った。
本尊は聖観世音菩薩。信玄の夢枕に立ち戦術を授けたという伝説があり、両脇に不動明王と毘沙門天が立つ。黒漆の厨子の扉には武田菱の紋が刻まれ、武田信玄の位牌が2体収められている。明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく※)で一時は廃堂になったが、現在、観音堂は地域の人の手によって守られている。
信濃三十三番観音の4番目札所でもある。
※明治政府の神道国教化政策・神仏分離政策に基づいて起こった仏教排斥運動。各地で仏堂・仏像・経文などが破壊・破棄された。