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飯山城跡

カテゴリー:上杉軍関連 城・館 | ◇アクセス

 読みは「いいやまじょう」跡。千曲川西岸の丘陵に築かれた平山城で、古くは飯山常岩に所領をもった土豪・泉氏の居館であったと伝わる。川中島の戦いのころ、上杉謙信が武田軍に対する防衛拠点として修築したとされ、階段式に郭(くるわ)を配し、千曲川が外堀の役目をなす後堅固の城で、度重なる武田軍の攻撃にも落ちることはなかったという。


本丸跡


本丸石垣

 弘治年間(1555~1558)北信濃侵攻を進める武田信玄の圧力に屈した高梨政頼は、本領の中野を退き、上杉謙信の援護のもと飯山城に入った。政頼は大将として地元衆とともに武田軍に備えるが、永禄4年(1561)、政頼は春日山城に入り、その後は地元衆が飯山を守った。

 永禄7年(1564)、謙信は川中島に再び出陣し武田信玄との対決に挑むが、更級郡塩崎に本陣を構えた信玄とは対陣だけに留まり(第5次川中島の戦い)、やむなく兵を退いた謙信は、飯山城の改修を指揮して、越後に肉薄する武田軍への備えを強固にした。

 永禄11年(1568)、信玄は越後の本庄繁長(ほんじょうしげなが)と呼応して飯山城を攻撃するが、上杉の援軍の前に攻略できず撤退。その後も武田軍は長沼城に本陣を据えて飯山城を攻めるが、越後国境を突破することはできなかった。

 武田氏滅亡後は、上杉景勝が岩井備中守信能(いわいびっちゅうのかみのぶよし)に命じて本格的に普請し、城下町も整えた。現在は城址公園として整備され、桜の名所ともなっている。


本丸枡形虎口

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