富倉峠
読みは「とみくらとうげ」。標高681m、北信濃と越後を結ぶ交通交易の重要なルートであった富倉道(現飯山市から妙高市に通じる)の旧峠。川中島の戦いでは、上杉謙信が越後から兵を率いて信濃に進軍する際、主要路の一つとして利用された。峠の近くには上杉軍が陣を張った場所といわれる大将陣跡がある。
『甲越信戦録』では、永禄4年(1561)、八幡原の激戦場を後にした上杉謙信と和田喜兵衛が、小菅権現の導きにより木島(飯山市)にたどり着き、安田の渡しで千曲川を渡り、疲労困憊しながら険しい山道の富倉峠を越え、春日山城に帰城した様子が描かれている。
富倉道は、江戸時代には塩・魚・酒などの移入路となり、古くから内陸と日本海を結ぶ流通の大動脈だった。明治10年(1877)、富倉峠の西側に涌井(わくい)峠が開削され、昭和40年代(1965~)には国道292号線が通じて、新しい富倉街道(飯山街道)となった。旧富倉峠は、現在、関田(せきだ)山脈を縦走する信越トレイル(総延長約80km)のトレッキングコースとなっている。
峠付近の富倉地区に伝わる笹寿司は「謙信寿司」とも呼ばれる郷土料理で、上杉軍に土地の人が笹の葉に味噌漬けをのせた飯をふるまったのが起源といわれる。