史跡ガイド

史跡紹介

野尻城跡

カテゴリー:上杉軍関連 城・館 | ◇アクセス

 読みは「のじりじょう」跡。野尻城は、野尻湖に浮かぶ琵琶島(びわじま)城と、野尻湖の北岸、斑尾(まだらお)山麓がのびた尾根の突端に築かれた野尻新城とがある。甲越戦争では、信越国境の軍事的拠点となり、武田軍に対する上杉方の前線基地となった。野尻新城は、上杉謙信が信越国境の守備固めのためにあらたに築いたものと考えられている。


野尻城跡(弁天島)


遠景

 永禄7年(1564)に上杉謙信が関東へ出陣した留守を狙って、武田信玄が会津の芦名氏を動かし野尻城(琵琶島城)を占拠したが、急いで帰国した謙信はすぐに城を奪い返した。

 信越国境への武田軍の脅威が増すにつれ、謙信は信玄との決戦を再度意図し、7月下旬、春日山城を発ち、川中島へと出兵する。8月には更級郡塩崎に陣を構えた信玄とにらみ合いが続くが(第5次川中島の戦い・塩崎の対陣)、武田の支配下でそれ以上の深入りは避け、謙信は川中島から兵を返した。その後、飯山城の修築を指揮し、国境の守備を固めて、春日山城へ帰陣したという。


宇賀神社


宇佐美定行の墓

 琵琶島には宇賀(うが)神社があり、中世には弁才天が住んでいると信じられ、広く信仰を集めていた。境内には、長尾政景(ながおまさかげ)を道連れにして野尻湖に身を沈めたと伝えられる宇佐美定行(定満)(うさみさだゆき/さだみつ)の墓があり、また真光寺(信濃町野尻寺山)には政景の墓がある。

アクセス