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カテゴリー:武田軍関連 城・館 | ◇アクセス
別名赤沢城とも呼ばれ、大塔合戦から3年後の応永10年(1403)村上満信を盟主とする国人一揆党が再び反抗して立てこもり、幕府が攻撃し落城させたといわれる城。戦国期には、この一帯を支配した塩崎氏が天文22年(1553)武田方に仕えたことによって、およそ1km北にある塩崎城とともに、武田軍の川中島進出拠点として利用された。
なお城跡近くには、越将軍塚古墳がある。
塩崎新城 遠景
塩崎新城(主郭)
主郭
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